武蔵の弟子が眠る墓のそばの公園の大木にしがみついている御婦人がいた。

武蔵の弟子が眠る墓のそばの公園の大木にしがみついている御婦人がいた。

仕事帰りで少し時間があったので、自宅近くの毘沙門池の写真を撮影しようと思って車で向かった。池の奥の車が停められそうな広場に停めて、池の写真を取りに行こうとおもったら、途中で大きな木に抱きついている御婦人と遭遇。

その何故か広場の一番大きな木に抱きついているジョギング中らしい婦人に挨拶した。

「こんにちは、何されているんですか?」
「はい、こんにちわ、大きな木からパワーを貰っているんです。今日はこの公園3周目です。どちらからいらっしゃったんですか?」
「いやあ、近くですよ」

とまぁ、通りいっぺんの会話をしてしつつ、これ以上深掘りするのはやめておこうと思い、毘沙門池に向かった、池といっても単なるため池のようだ。

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 池の近くに桜の木があり満開だった。別途宇土市に「光園寺跡毘沙門堂池(こうおんじあとびしゃもんどういけ)」というのがあるが、それらとの関係性はわからない。隣には寺尾勝信の墓と毘沙門堂もあるが今回はスルーした。

しかし・・この「寺尾勝信」という武人の方が重要だということに後で気づく・・・これだから歴史に疎い我が身はつまらん。

周りを散策してみたら「南山内の高城跡」というのがあるらしい。そこで標識に沿って、小高い丘を登り始めた。ところがこれがまた結構急な坂である。

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結構頑張って登ったが体力のない我が身だと青息吐息だ。標識に沿って登っていったが、なかなか着かない。それでも平坦な場所についたので確認したが・・・・

「ここ、ちゃうやん!南山内の高城跡じゃないやん!」

なんと途中の分岐で間違って、五色山の方に来たみたいだ。

わかりにくい・・・帰りにみたら標識があらぬ方 向みてたので、登山時には気が付かなかった。

そんなこんなで、多分すぐそばであるはずの南山内の高城跡にはいけず、登山して帰ってきた。ま、行っても平坦な部分があるだけで何も残ってはないと先程の御婦人に聞いたのではあるが。

 

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 *寺尾勝信

寺尾 孫之允(てらお まごのじょう、慶長16年(1611年)- 寛文 12年9月19日(1672年11月8日))は、江戸時代前期の人物。剣豪宮本武蔵の肥後熊本における兵法の高弟で、武蔵が死去する正保2年(1645年)5月19日の7日前、5月12日に『独行道』とともに二天一流兵法書『五輪書』を伝授された。二天一流兵法第二代師範として孫之允が『五輪書』を相伝した弟子に、浦上十兵衛、柴任三左衛門、山本源介、槙島甚介がいる。それぞれの系統の写本が今に伝来し、武蔵の兵法の詳細を伝えている。
通称は孫之允、諱は勝信、号は夢世。通称については、子孫の系図「寺尾家系」及び『武州伝来記』『五輪書』九州大学本は「孫之允」、『独行道』『五輪書』細川家本など山本源介宛には「孫之丞」、ほかにも「孫之亟」「孫亟」とする文書もある。諱についても墓碑及び『二天記』は「勝信」であるが、『武州伝来記』『五輪書』九大本など柴任三左衛門系は「信正」、細川家本など山本源介宛写本は「勝延」、徳富家本など浦上十兵衛系は「勝政」となっている。号は「夢世(むせい)」で、諸書同じである。

引用元:ウィキペディア 寺尾孫之允